えあぱそリターンズ 休日駄文。
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ネットで私を大きく変えたもの3

「過去に○○してなければ、××だった」みたいな過去仮定?てのは好きじゃないんだけど、あまりに今を形成するにあたって大きいものばかりなので書いてきます。

1.ポトリス
syuu.jpg

今は亡き(あります)バンダイのオンラインゲーム。今でもロシア版をこつこつとやってます。
週刊少年ジャンプの裏表紙に載ってたのではじめました。

ネット黒歴史時代(中1~2)の全てをこれに費やした記憶があります。サイトをはじめる理由も、これのチームサイトを立てる理由からでした。ふれくん、栗くん、きゃぷ、ガンクさんはこの頃からの付き合いでうs。
チーム名は、ええと、清く忘れました。THE REVOなんたら、清く忘れました。

画像は滅多にでないレアタンクが全員でたシーン…というのはちょっと嘘で、昔は大会用のサーバーはランダムにすると全てレアが出ました。持ち技はパワーゲージ止めゲームの概念を覆す全弾誘導。むちゃくちゃ強いです。
身内でやってて誰か一人でもレアタンクが出ると、必ず一人は機嫌が悪くなります。

楽しいゲームなので皆でやろうぜ!(喧嘩とか起こるけど!)


2.みすとれ巣

危険度No.1といわれているMMORPGの最大手、「ラグナロクオンライン」のファンサイトです。

こう、小中学生時代ゲームしかしてないのがバレバレなのですが、はじめて私が歓心しまくったテキストでした。
この頃はちょうどテキサイ全盛期とか呼ばれたりなんやらで、この手のサイトは星の数ほどあったのですが、コレを見てから自分も日記をはじめたと思います。モロパクリで。

最近はROがしたいけど、一緒に始める友達もいないし、いたらいたで激ハマリしちゃって一夜のうちに転職したりして、「はは、狩り手伝おうか?」なんて上から目線で、そのくせ肉ばか食い盾しか出来ない騎士で、レアでたら勝手に回収されたりして、はは、ははは。(私怨が混じりました)

危険度No.1とか言いましたが、ほんとにハマるとやばいです。特に友達とか出来ちゃうと。したことないけどモンハンも同じ感覚なのかな?
ネットはじめたての大学生とかがハマると、そのまま現実に帰ってこれなくなったケースもこの目で見てきました。自制心の弱い方はあまりしないほうがいい気がします。

syuu2.jpg
(自制心のない二人)


3位.私立たぬき学園(R-18)

何を言っても保身的に思われそうですが、当時というのはですね、同人誌配布サイトはおろか無料でAVをスイスイDLできるサイトすらありませんでした。ダイヤルQ2とかいう恐怖と戦う小学生でした(若すぎ)。
残された道は、個人CGサイトや個人写真サイトでしたが、質も悪かったりすぐに有料化に走ったり…。そんな金のない我々を救うべく現れたスーパースターがここでした。

とにかく当時の気持ちにしたらエロゲばりの質で大量配布してる学園は、良し悪しはともかく私に多大な感動と影響を与えてくれました。
さげすんだ目で見られる方も多いとは思いますが、男というのはエロが全ての源なのです。ジャニーズも加藤鷹も皆そうです。

あと今書いてて思ったけど、R-18て、18歳以下が理解できる表記じゃねえよなあ。Rの略元(Rating)知らずに使ってる人も多そうです。


過去のネットにおける自分史を掘り起こしてみると、八割が黒歴史だったりするのですが、意外と面白いもんですよ。

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2009/03/18 14:37 | 休日駄文。COMMENT(2)


逆恋文

少し長いでよ。

1.
ラブレターというモノを書いたことがありますか。冒頭から余談ですが僕はあります。確か8000字ぐらいをフォントサイズ8で印刷したものを下駄箱に突っ込みました。その当時好きだったKちゃんは、苦笑いしながら「怪文ですね」なんて感想をくれました。
そもそもラブレターなんて死語に等しいこの時代、思いの伝え方も一直線から多角的アプローチに変動しつつあるように思えます。そんな中、あえてシンプルに手紙で思いを伝えることは等身大の自分をぶつける一本気な戦略として僕はおおいに評価しています。

さて、手紙を書いて渡すという行為は、送り手・受け手で分類するならば当然送り手です。あほかと思う方もいるとは思いますが、一つ一つ書いていきます。
以前に書いたこととかなり重複するのですが、それなら自分の思いを書き留めて、web上の日記で公開して相手に読ませるという手はどうなるでしょうか。これはラブレターと決定的な違いが一つあります。それは書き手でありながらも、受け手として対応できるということです。意味わからんよね。
つまり、書いて載せたのは自分だとしても、わざわざ足を運んで読みにくるのは相手であって、自分から強要したわけではないという立場上、相手の行為には責任が伴うわけです。(単なる錯覚かもしれませんが)

2.
で、まあ、これが最近ケータイサイトとかでよく見る。ネット告白(今名付けた)の意図するところだと僕は思うんですが、どうでしょうか。これを本能でやってるのか戦略なのかは人によるのでしょうが、なかなか凄いやり方だと思います。リスクが極端に低い。
低リスクの例で言えば、相手の名称を出さずにあいまいに、かつ確実に知人ならば断定できるレベルの文章を書いて放置しておけば、「俺のこと書くなよ」なんて本人からアプローチが飛んでくることはないと思います。自意識過剰かもしれないというリスクを相手に与えているわけですね。
つまりアプローチをしながらも反応を受けつけないことで「相手をムラムラさせる」ことが出来ます。

それとは別に、これをやるのは内向的な女性、文学少女Ⅰ型が多いと思います。言葉に出来ない分、彼女たちは手が進むのです。そしてどういうわけか、自分のために作った文章であれば、投稿ボタンを押して自らの想いをネットに発信することは意外と平気にやってまうらしいのです。
メールなら送信ボタンは押せるもん!(押してら慌てる)の心境と同カテゴリと言ったらわかりやすいでしょうか。

3.
これを無意識にやっちゃう女性に限定すると、ていうか身近にいるんですけど、彼女は書いて嬉しく読まれて嬉しいの良いコトづくしなわけですが、こういう日記を見た(書かれた)男性はどういうリアクションを取っていいのか悩んでしまう気がします。
相手の好意はわかってはいるが、それが一体どういうモノであり、何であるのか。自ら聞いてみたい気もするが、自分から出向くのは何か筋が通っていない、などと世の中の男性は困惑してしまいます。自らのリスクを回避するあまり、相手のムラムラが罪悪感に変わってしまったケースと申しましょうか。
自分の好意を伝えるということは、凄く難しいことだと思います。相手の気持ちを知るのも怖い、だけど知りたいなどといった葛藤と恋する乙女は日々戦ってるわけです。そんな女性が用いるのかはアレですけど、この手法には相手との外堀を埋めるというよりは、かえって別の壁を作ってしまう可能性もあるでよ、というのが今日言いたいことでした。

まあ、経験上、アレやられると結構嬉しいもんなんですけどね。ニヤつくのは必至で。ただ複雑な気持ちになっちゃいます。


以上、あいまいかつ知人には誰を対象にしたか断定される文章でした。頑張れよとは思いますが、自分と相手ともに追い込まれるほどの恋愛をする必要はないかとも思ったりします。(長かった)

2009/02/17 23:46 | 休日駄文。COMMENT(0)


君に一度も会えなかった2008

俗世間では一年を振り返って、とかが恰好の記事ネタになっているようですが、アンチ社会、反骨精神を捨てきれない僕としては普通の更新をしようと思っていました。(こうやって自らを“わかってる”アピールして軽く開き直るのも自己防衛の一種かもしれません)
が、まあ、男二人で年越しライヴをするのは夜ということもあり、特に何も思いつかなかったので暗くならないうちに簡潔に今年の自己をまとめてみようと思います。それにしてもラブリーの今年の総括は凄かった。粋ですね。

ヅャンプに関することはヅャンプに書くので、僕個人としての今年を述べます。

ぶっちゃけてしまうと有意義かどうかも怪しい一年でした。いろんな人と出会ったり、現場仕事の機構を知ったり、学ぶことは少なくとも去年よりは多かったのですが、結局口から出るのは「自分とは違う」なんていういかにも若者っぽい回答でした。(『』でないのは自信のなさの表れです)
それでも、まあ、『僕の社会における意味』なんてのを考え出して億劫になるような性分ではないので、来年からはもっともっと何でも当たって失敗していこうと思います。
ちなみに来年度からは事実上、本当に路頭に迷う可能性もでてきて(家がない)、逆境スキーの僕としてはわくわくが募ります。冬はなんとか越せそうです。

てなわけで、とりあえず4月までは突然ブログたたんだりは流石にないので、もうしばらくは僕の雑記にお付き合いください。喪中とかなんとかなので新年の挨拶は控えさせていただきます。

2008/12/31 15:29 | 休日駄文。COMMENT(0)


やさお(野菜男)

自分と正反対のタイプ(ごく普通)と触れ合いたかったので友達に用意してもらって遊んできました。朝10時に集合して、行楽地へと徒歩で移動しながら男女間の交友について話しました。

その子は最近フられたのですが、初めての彼氏で、向こうも初めての彼女であり、約2年間も交際が続きました。フられた理由は彼氏の受験勉強のため、ということで長かった付き合いがゆるやかに幕引きとなりました。ゆるやかすぎたのが問題でした。

今でもその子は、ちょくちょく彼氏に「会いに行っていい?」とメールを出しているそうです。むこうはそれを受容します。もうヨリを戻すつもりはない、とフったあとにです。

なにか違和感があるのは僕だけでしょうか。

「受験勉強のため」という理由はまあ、半分は事実でしょう。女が気になって手がつかない人種なのかもしれません。ただ、そういう人種がフった人間と気楽に会うという点に問題を感じます。勉強したいから、の弁解にはならない行動ですよね。

ここからは僕の男主観になるのですが、(中堅クラスの女性に)求められて嫌悪感を覚える方はまずいません。それがたとえ好意の薄れた元恋人だったとしても、自分の手元に置いておける安心感は僕にもわかります。ただそのままでいいのでしょうか。

おそらく、彼の受験が終われば彼には新しい生活が待っています。今までの彼は浪人生という孤独感から一人の女性だけに依存して生活してきました。そんな彼が自由になった日に、果たしてフった女性の元へと戻るでしょうか。

「ヨリを戻さない」と言い切った彼を信じるならば、まず戻りません。何故なら新しい生活においてのフった彼女はいわゆる「荷物」であり「障害」であるからです。それを見越しての別れ、とまで彼が考えてたどうかはわかりませんが、なるべく相手に気に入られながら「恋人持ち」というステータスを破棄したいのであれば、絶好のやり方であるといえます。

結果的に彼は、第三者から見ると「ズルい人」という評価になってしまいます。うまい具合の距離感で自分に依存させているのです。いつでも切れる形を保ちながら。だけど彼女からはそうは思われないというケースは多いです。そりゃあ、好きだから。好きな人に呼ばれて行かない乙女はいないから。恋は盲目というのはこういう場合について言うのでしょうか。

半年先までを想定するならば、傷つくのは彼女のほうです。好意が残り続けたまま相手にされなくなるのですから。好意を持たせ続けたのはもちろん彼氏の行動によるものです。いつかくる別れのためにステータスを破棄するのなら、徹底的にやるべきです。相手がすぐに立ち直れるぐらいに嫌われてやる。それが彼女への優しさではないでしょうか。

以上のことを僕は指摘しました。殆ど初対面の女性に言ってしまう内容ではなかったかもしれません。でもちゃんと聞いてくれました。彼女はこの事について「よくわかる、そうかもしれない、でも会ってしまう」と言いました。

要するに両方ヘタレなのです。一時的な孤独感が怖いために互いに依存しあっているのです。これは何も恋人間だけにあることではなく、世のスイーツ連中にも同じことが言えます。「大きな冒険」は決してせずに「小さな安心」だけを求め続ける姿勢は、現代の風潮といっても過言ではないかもしれません。

しかしどちらかがアクションを起こさねば二人の関係は引きずられます。最後に僕は彼女に「こっちからフってやれ」と言いました。結局、自分から離れるのが怖くて会っているのは向こうなのです。あとで傷つくことを考えれば、彼氏が自分はどういうことをしているのかを理解させるという点でも一撃ぐらいかましてやらないといけません。アンチ優男の権化のような僕にとって男性(とも言いたくない)をフォローする気はありません。さっさとフられて痛い目みればいいのです。

ともあれ彼女は「前向きに検討します」なんて見当つかねー発言を残して去りました。やっぱりヘタレなのはすぐには変わりませんが、彼女が何かいい方向に進めるならば幸いです。

以上、過去の自己嫌悪から発生する同属嫌悪でした。男らしく生きたい、ような気がします。(女の日記を書いておきながら)

2008/12/06 18:12 | 休日駄文。


これだけは勘弁してほしい

・ゴツい女のゴスロリ、コスプレ、メイド服

まず本当にごめん。ごめん。ごめんなんだ。「個々の自由だ」とか「自己満足だから」とかそういう理論武装もひとまず手を休めてよくよく考えてほしい。

例えば僕が今、全裸で街を歩いたとする。さすれば警官が駆けつけてくる。この仕組みは誰もがわかる。じゃあ日中の街中で堂々と歩くゴツいゴスロリ女はどうなんだ。彼女たちは全裸じゃない、むしろ他者より多く着ている。なにここで僕が言いたいのは服を着る奴は死ねとかそういう極論じゃない。服を選択する意識の段階での過失を見直してほしいということだけなんだ。

いいか、ポテチ食いながらでいいからよくよく考えてほしい。この世には「ぽっちゃり至上主義」だとか「デブ専」だとかそういう人間もいる。だけど『そういう人間もいる』レベルでしかいない。まわりくどいようだけど、周りの反応を感じ取って欲しい。あたたかい眼で迎えられているかどうかを知ってほしい。僕が君たちを受け入れる器がない人間なだけかもしれない。そのときは謝る。

“そんなの「個人の自由」「私の勝手」”という主張がよく聞こえる。だけども冷静に考えてほしい。ポテチまだあるから。例えば僕が今、全裸で街を歩いたとする。さすれば警官が駆けつけてくる。この仕組みは誰もがわかる。概念的に何が悪いのかって言えば「出してはいけないものを出して歩いた」「見る人に害を与える行動をした」とかそのあたりだろう。これを納得できたらあとは当てはめるだけだ。ゴツいゴスロリ女が街中を闊歩することは他人への害にも繋がるということなんだ。

「害?そんなわけないじゃん」って主張はもう無効であると知ってほしい。僕一人の意見ではない。少数派個性を社会的に抹殺したいわけでもない。ただ純粋にケースバイケースに応じて行動してもらいたいだけなんだ。評価は公にされて初めて意味を成す。家で全裸だからって逮捕される人はいない。ベランダでオナニーして捕まった人はいるけど。自己満足だから、と言って外に出るとそれは他人への影響にもなるんだ。それをわかってほしい。

例えば、例えばだ。「生まれつき内臓が悪くてむくみ体質である」とか「脳の満腹中枢に障害があって~」とかの方は謝る。本気で謝るよ。ごめんなさい。でも違うだろ。街中にいる上記の女性の7,8割はクレープ片手に大通りを闊歩してるじゃねーか。やるなら痩せろ。細い女性が美しいだとかモテるだとかそんなこと言って太り気味の女性を蹴落としてる、または小ばかにしてるわけじゃない。駄目なんだ。外でやっては駄目な行動なんだ。お願いだ。勘弁してほしい。どうか美しいスタイルで歩いてほしい。僕の願いはただそれだけなんだ。相応不相応という言葉を「型破り」ってなんか素敵そうなニュアンスだけで突破するのは勘弁してほしい。これだけは勘弁してほしい。

全然関係ねーけどどうしていつも二人組なのだ。二人いれば勇気が出るのはわかる。やりたいことがやれるのはわかる。だけどそれは僕らから見れば、1+1の足し算なんかじゃなく10×10のクリーチャーの乗法なのだ。1000万パワー+1000万パワーなんてもんじゃない。常にクロスボンバーを秘めてる君たちを敬意をもってヘル・ミッショネルズとお呼びしよう。なにかわからん人のためにも一応画像を添えておく。

bomb.jpg
(出展)「キン肉マン」 ゆでたまご/集英社

最近そんなゴツロリ女に追っかけられてます。

2008/11/17 20:33 | 休日駄文。


レスポンスその2

今日は違う角度のレスポンス(返事)のおはなし。レスってかリアクションといったほうがいいかもしれない。

昨日は「反応なんていらない!」てな強気発言に聞こえるだろうけれど、あれはあくまで不特定多数をメインにおいたものを書いた場合においてで、対人関係(1:1)では全くもって違う。

そんなことは誰だってわかってるよバーローといいたくなるかもしれないが、本当に対人関係における返事のありかたを間違えている平成生まれ(笑)が多い。

聞いてるか、お前だよお前、お前とお前とその横のお前と、えとお前じゃないそこのお前。
ともかく
対人関係において、特にネットやメールといった間接的なコミュニケーションにおいて、無言というものはありえないと思います。
そりゃあ向き合ってれば互いの思惑だとか間とかで伝わるんだろうけれど、送るしかないものに関しては、ほっといて解決するという思考が僕には到底理解できんです。

無言、無行動をやって許されるのは明るく楽しい受動的な環境があるうちで、一人で動かないといけなくなったとき、その無言のコミュニケーションはおそらく通用しないと思っています。

断片的すぎてようわからん内容ですが、清書してまた書きます。

2008/09/15 23:42 | 休日駄文。


秋元と私Ⅲ

本当は、ラノベ調にしたかったこの「秋元と私」ではあるが、先日リアルに会ってきたので彼女への本当の感想を書いていきたい。本人にとっちゃ迷惑な話である。

だがあえて言おう。彼女はノーマルであった。と。

我々がネットを通して思い描く秋元という女性像には、一般的なイメージは殆どなかった。
ブログでものを書けば「うんこ」、ラジオで口を開けば「うんこ」、こういった言動が彼女に対するイメージを完全に作り上げたと思う。

しかし実際に会ってみてどうだったか。

健全そうな女子大生が初めて我々の目の前に現れたとき、肩透かしとも拍子抜けとも違う(良い意味で)ノーマルさを感じ、我々は言葉を失った。
僕なんてのはずっと心の中で「うんこ!うんこ!」とか期待してたのだが、さした言動もなく素直で可愛い丸い子でした。

で、つまるところは何が言いたいのか。
現実とネットのギャップ、というところである。
秋元はどうして別人だったのか。

ブログにものを書くのも、普通に登場したのも、同じ秋元である。(と信じたい)
それならばどうして差が生じてしまうのか。別に考える必要もないぐらい簡単なことではあるが、あえて書くならば理性とかいうやつだと思う。
公共の面前、異性の身近、こういった環境要因が彼女を抑制してしまうのか。
ならば彼女はどこでその思いを発散させるのか?やっぱりネットである。

ブログに書くのが本人である以上、そこに書かれたものは本人の考えである。
しかし実際に思ってることを全部言う人間はそうなかなかいない。(いるらしい)
だからそのはけ口としてネットというツールが利用されるわけである。
直接はいえないが、誰かにこの思いを知ってほしい。そういった思惑で理性に従わないなにか違う力もとにタイピングを行うものだと思う。

秋元そのものはいたって普通な女子大生なのだ。それを本来ある姿(異常とする)に作り変えてしまうネットという環境が怖い。そして我々はそこにハマり、巣食うのである。

つまりネットで『幼女大好き』と公言する男(誰かとは言わない)は相当キケンな人間である可能性が非常に高いということです。
ああもう夕方だなあ。

2008/08/24 17:45 | 休日駄文。


キモチイイコミュニケーション

今日は、ほかのブログみたいに日常あったことを書こう!なんて考えてて、女の子とご飯食べてたんですけども。

怒られました。
「話を聞いてない!」って怒られました。
さて、ここで僕の日常をつづるブログは終わってしまって元の変な思想にうつろうと思います。

「話を聞いてない」の概要は適当に言いますと、僕がつまらない話はすぐに切ってしまうことにあるからだと思います。

切るというよりは、僕は日本人に本来あるべき「慎ましさ」とかいう本音を隠して相手を気遣うっていう文化が欠落してるからで、よく言えば欧米的とかですか。ともかく思ったことしか言わないのです。良いことも悪いことも。
それか人格破綻者だといわれるのでしょうか。

でも。例えば、例えばですけど「バイト先で頑張ってる」なんて言われて「うんうんそうね、頑張ってるね」と相手の気分をよくさせるのが果たして本当の優しさなのでしょうか。それは結果的に相手のためになるのでしょうか。

僕はそこでいつも
(その話は面白くないなあ…)
ではなく
「その話は面白くないよ」
って堂々と言ってしまうところがおそらく他人との違いというか怒られた原因なんだと思うんですけども、思ってることを黙り押し殺して、相手が幸せになる言葉を選んで運んでいくことが本当のコミュニケーションのあり方なのでしょうか。

僕は自身のコミュニケーションにおいて非難されることは多々ありますが、相手のことを軽率に思ったり適当に扱ってやろうなんて個人差をつけたりしたことはありません。と一応かいておきます。

難解が故に面白い話になってきました。正しい正しくないではなくて、どういうあり方が総合的にうまくいくのか。そんなことを考えてるうちは僕に「慎ましさ」なんて出来ないかもしれません。

2008/08/12 23:33 | 休日駄文。


リアジューと私

 リアジューというのは当然のごとく「リア充」のことであり、さらに言えば「リアル充実」の略語である。この不思議な複合語は一体なんなのだろうか。

 今週のえあぱそでは、リア充について追っかけていきたいと思います。そんなことより本気で過去の駄文を仕上げないといかん気がしてきました。

2008/08/10 06:10 | 休日駄文。


秋元と私Ⅱ

2008/08/03 15:34 | 休日駄文。


ほんとに駄文かきますよ

2008/07/27 23:02 | 休日駄文。


秋元と私

秋元との出会いは、高校2年生になるときのクラス替えであった。

進級を境にニュージーランドに長期留学する、と二年間付き合っていた彼女に別れ話を切り出された私のショックは当時を思い出すだけで無双乱舞しそうな勢いであった。山田ー!!

愛さえあれば国境も越えられる、と私のまわりの友人は別れないことを強く私に勧めた。
よくもそんなに軽々しく臭い台詞を吐けるものだ。どうせ他人のことじゃないか。当の本人になってみないと私の実情なんてわかるはずもないのだ。私を気遣う善意はありがたいがそれは私にとって無意義なものであり、必要以上の慰めはうんざりする意外何もない。

そういった考えこそが無意味なものであり、私を億劫にさせる要素であることは自分が一番わかっているつもりであるのだが、それがやめられないのもまた事実である。わめいても、もがいても、あがいても。時間は淡々と過ぎていき、彼女を乗せた飛行機はぽつぽつと空へと消えていった。

気付けば四月がやってきて。エイプリルフールに彼女がいるなんて笑えない冗談をかましたりして。待ち望んでもいない新学期やってきたのだった。

つづく。

2008/07/20 00:06 | 休日駄文。


恋愛と私Ⅱ

2008/07/13 00:00 | 休日駄文。


mixiと私

 私はオレンジの画面を見るだけで引っ叩きたくなる。しかし、毎日アクセスすることはやめない。その利用方法は人によって様々である。が。

 嗚呼!足跡とはかくも煩わしきモノなのか!!批判ばかりはつまらないのでmixiのメリットを考えてみよう。

2008/07/06 09:00 | 休日駄文。


ブログと私

 非日常的なんて謳ってるブログに限って、少しだけ距離を置くとノーマルすぎるって事態にどうして気付かないのか。

 僕は日常を面白おかしく書くブログが好きではない。何故ならそこに存在する書き手・読み手は一種の夢想に浸っているからである。またも出ました、自分世界の形成とかである。

つづく。

2008/06/29 00:00 | 休日駄文。


ケータイと私

 ケータイとは次世代コミュニケーションツールである!!なんて謳われてたのも昔の話。今じゃ小学生ですら持ってるのが普通なんて言われる始末である。

 携帯電話はいったい、10代にどういう影響を与えているのか考えてみることにする。

-ケータイは何が一番凄いのか
「個人」が「個人」と容易に密談できることである。メールなり通話なりそれは一対一のコミュニケーションであって(そうではないプレイも存在するが)、会わずして連絡が取れるというとこにある。

-ケータイによる利害

-ケータイによる馬鹿1

2008/06/22 00:37 | 休日駄文。


スイツーと私

 スイツー大好きカナタくんです、こんにちは。本日は僕の日々思うスイツーについて書きたいと思います。しかし、このテーマはあまりに規模が大きく、思ってることを書き連ねても二転三転重複などが目に見えてますので、具体的に小テーマに区切って考察していこうと思います。

・スイーツ(笑)とは何か
 これはそのまま検索していただいたらすぐわかる言葉なんですけども、ここにくる皆さんは多分わかると思います。僕はこの単語を、「オタク」に次ぐ便利代名詞だと思っています。大学とかできらびやかーな女性誌や最新トレンドに流されて…などと説明するよりも、「あいつスイーツ(笑)でさあ」と言ったほうが100倍意味がとおる気がします。なんという素晴らしい言葉!

・何処にいるの?
 スイーは基本的に、高校生レベルの発想をしがちなのでその世代あたりが多いように思われます。しかし本場のスイーは、適度なバイト(自分語り(後述)にも使用)をはじめて財力を得た大学生あたりに多いです。定期代も親払いなのに、どうしてバイトの賃金全てが自分に行くのか。特に有名私立がマジぱねえ、と僕の友人は申しております。

・なにかんがえてるの?
 以前、半ば暴言とも思われるぐらい書いた「女子高生」の私にかなり近いです。ジーノカッターしてきます。

・何をしているの?
 何もしていません。ただ漠然とした空費のローテンションです。

・どうしてカナタくんはスイツーが嫌いなの?
 嫌いじゃないです。ただし人の迷惑になる行為や、勝手な価値観の押し付けがこの界隈に多いのが現実です。だからどうしても引っ叩きたくなるのです。集団心理がこの世の絶対という考えも僕には不可解なものです。

・自分語りって?
文字通りなのですが、本当に不要な情報を公開して押し付けることを得意とします。「バイト忙しい」「彼女と喧嘩した」などなど、冷静に考えてみると対応しなくて済む内容ばかりですね。

2008/06/15 13:33 | 休日駄文。


メンヘーラと私

 メンヘーラと書くとお洒落な喫茶店みたいである。あ、そうでもないですね。
 今日は罵詈雑言ばっちこいで、メンヘーラさん(仮名)についてだらだらと書いてみようと思います。むろやの協力でお送りします。

 第一声は決まってこうである。
「まわりは理解してくれない、私だって頑張ってるのに…」
 そうかそうか、頑張ってるのか。君は偉いなあ、努力してる分だけ他より断然偉いよ。とでも言うと思ったか!って感じである。
 こういったのが転じて、私は不幸だー、まわりは身勝手だー、になるわけです。おいおい待てよ、君が孤独ならまだしも相手がいる時にそういうことを言っちゃうかな…、言っちゃうのです。何よりもまず真=私なので、他はありえないッ!!私の考えが原点にあって(ここは普通かもしれないが)、そこからずれる考えは否である(ここが違う)といった構想になってるんだと思います、たぶん。

 つまりはまず第一に”頑張ってる私”が先行されるわけで、それより偉いものなんて存在しないのである。存在しないが故に、他の人の声は届きにくい。だから私は自由に書くのです。最初に言った罵詈雑言なんて飛びません。ヘーラ達にすれば自我が全てで自己完結してしまうからです。
 他の人の声が届きにくいってのは純粋にまわりの話が聞けない、とかそういうことを意味しちゃうわけですけど、そうなると大変なのが対人関係における衝突です。普通の人なら衝突とまではいかないようなささいな口論も、その方たちにとっては自分を揺さぶりかける悪意に取れてしまう。
 で、どーなるか、保身します。わたしのことがちゅきだからー。…古いですかね。つ、つまりは自分の中へいこういこうとするわけですね。外部を攻撃するケースもたまにあるそうですが、ほとんどは自身の奥深くに沈みこんでいくそうです。
 え?それぐらいもうわかってるって?そうでしょうそうでしょう、貴方たちは聡明ですからそれぐらいはふふふ。

 で。別に俺はヘーラ達を叩いて嬉しいわけじゃないので、どうやって付き合えばいいかいつも考えています。何が最良か、何がバッドなのか。やはり最も喜ばれるのは、相手に賛同することでしょうか。先ほども書きましたが、ささいなことで衝突が置き、それを異常にに恐れるために保身的になってしまうのです。(意味あってるのかなあ)
 でも、それじゃあ自分も疲れれば相手も何も変わらない状態なんじゃないか。じゃあ待つしかないのか、変わるのを待つしかないのか。そう思うのもむずむずします。対処法とか大口たたくのも失礼だし無神経だと思うので勝手に結論にいきます。

 最後に。メンヘラはその名のとおり病気だ!と言う方が大多数でそう自覚してる方もおられるとは思うのですが、僕個人の思いとしては"だからなんなんだ"ということに尽きます。そりゃあ、他者とのコミュニケーションが下手だの自分に自信がないだの、自意識過剰だのいろんな面で一般的な人と違う箇所はあるのかもしれませんが、それでも時間をかけたり手をかえたりすれば互いに納得できる付き合いが出来るんじゃないのか、と思います。
 つまりは放置、ではなくその人を信じて待つことが大切なんじゃないでしょうか。最も自分にとってどうでもいい人間にそんなことが出来るか、と聞かれると大抵の人は切り捨てるような気もしますが。

この考えは「おにーちゃん殺してあたしも死ぬ!」って刺されたら変わるかもしれませんが、今のところは不変です。以上、お洒落系喫茶店からお送りしました。またいつか続きます。

2008/06/08 00:00 | 休日駄文。


イギーと私

 今日はいろいろ、暴言とか御幣があること書くよ。イギーと私って書いたけれど、本当は愚者について書きたいと思います。もちろんイギーてのはスタンド使い(ザ・フール)のあれだけど、おれ最近まで『愚者』を『患者』と思ってました。早いですけどここ一番の愚者が私に決定しました。


 …と終わってもよかったのだけれど、イギーはさておき真剣に考えてみようと思うよ。愚者とかくと軽蔑っぽいけれど、本当におろかな人ってなんだろう。話を聴かない人だろうか、仕事ができない人だろうか、顔が悪い人、総じて性格が悪い人、思い巡らせればいろいろいるよね。おれは思わないけど。

 そこでちょいと今日思いついた、具体例をあげてみようと思う。つまるところ人間観察てやつ。「お前バカだろ」って言ったら「え、意外と僕べんきょう出来ますよw」って言う奴が一番おろかなんじゃないかと思う。
 そりゃ学歴至上なんたらだろう、とは思うけれどその切り返しだけは勘弁してほしいのです。貴方が勉強や部活を頑張って、良い大学に受かったのはわかるのです。ただその環境に身をおいてることを誇らしげに語られても、貴方は貴方でしかないのです。
 逆に言うと、いかに学がなかろうが日常において何の不快感も与えず誠実に生きてる人がどれだけいることか。私はそういう人に対してもナメた態度を取る学生風情に無性に悲しくなってくる。君たちが偉いのはわかるけれど、君たちが一番偉いわけじゃないだろう。といつも思う。

 ルールに沿って、環境に従って、それでベネ(よし)だ!と思う人はそれはそれでいいと思う。けれどもそれだけが正しいルートじゃない、全然違う方向でけなげに頑張る人だっている。それが何故わからないか。わからない人が「意外と勉強できるっすよ」なんて言うと思うんだ。世の中のイメージでそういうタイプを書いてみたけれど、意外とこういう人は多いと思う。びっくりするぐらいいると思う。
 でもだからといって、そういった俺が「おろかだ!」って言った人を「おろかだ!」って言うだけでバカにすることは(何かから)最もかけ離れた行為であると思います。結局、ぼくが今日言いたかったことは、人をばかにする意味は果たしてあるのか?ということに終結しそうです。

 やっぱり人との関わりは全てに敬意をもって接するべきだと思うのです。

2008/06/01 21:27 | 休日駄文。


距離感と私

 対人には距離感が存在するッ!!と至極当たり前なことを言ってしまうが今回はこれについて書きたい。

 距離感とは言ったものの、間合いと言ったほうが正しいかもしれない。人と人の接する間をいかに適当(いい意味で)にするかが肝心要となってくるわけだが、こいつがどうも出来ない人が多い気がする。タイマンを前提として多少考えてみよう。

 人と人の距離感というやつは結構なもんである。憧れだった噂の上級生もいざ寝取ってしまえばただの陳腐な男性へと変わり、今までただの幼馴染としか思ってなかったあの子が突然接近してきて「コイツ…こんな可愛かったのか…」ってなるような事象も数件報告されているようなないような。

 つまり僕が何を言いたいのかというと、距離感といふものはこういった良くも悪くもギャップを生じさせてしまうわけで、対人(特に個人)との付き合いでは、干渉しすぎず関心も持ちつつなんて姿勢が望ましい(と思われる)わけだが。ああもう面倒だからこれが出来ない人っていうの具体的に書くよ。文句だよ。

 どーいうわけか、連中は他人に介入したがるくせに自分の話をしたがるのだ。他人のエリアに堂々と侵入しては自らの風呂敷を広げようとする。おめーは花見の観光客か。「ブルーシートはみ出ちゃうんでちょっと寄ってくれませんか?」じゃねーよ。ともかくそういった人は自分よりまず他人の動向を少しは見たほうがいい。そればっか見て動けない奴も駄目だと思うけど。ああもう頭にお尻しか浮かんでこないよ!

つまるところ距離感どうのというよりも、自分が好きなのはわかるけれど相手の話も聞かないと大変だよ☆ってことでした。役にたたねー。
接近するのはわかるけれど、それによって違和感が生じるとせっかく立ちかけたフラグもぶっ壊れます。ドッキドキだね!


 これはイケる!と思って女の子に詰め寄ったら突然そっけなくされたカナタがお送りいたしました。

2008/05/25 00:37 | 休日駄文。


メールと私

 我らが平成生まれのコミュニケーションの在り方をやや真剣に考えてみようその1、メールでの付き合い方。

 とあるブログで高1かそこらの人が、「女を落とすメール術」たるものを公開している。これを最初に見たときに(きっと大多数もそうだけど)違和感を感じた。メールで女を落とすのか?と。
 彼の言い分はこうである。面と向かって話せないならメールで想いを伝えちゃおう、と。あらま。どこからつっこんでいいかわからんので、あえてスルーするけれど、この感覚は10代の何割方ぐらいに蔓延しているのか非常に気になる。僕のまわりは少ないけれど。

 そもそもメールというのは交流のツールであって主軸ではないと思うのだがどうだろうか。漠然としたイメージでしかお伝えできないけれど、文字列の送りあいに密度が濃いとは到底思えないのである。
 でもそれは僕のイメージであって最近の10代のイメージはやや違う方向になってきている感もいなめないのである。メール恋愛…だと?って感じなんですけど、僕だってメールで彼女ほしいんですけど!!

 どうせメールは同窓会しよう、CD貸してくれ、うんこ、ぐらいの三パターンで分類できるほどしかこないんだけども僕もメール術に習って恋愛してみようと思います。実録気味のドキュメンタリーにしてやる気は満々でございますが、やる気に反比例して予想通りの結末になることうけあいです。

乞うご期待!

2008/05/18 00:00 | 休日駄文。


恋愛と私

 だらだらと恋愛論を語るほど偉くも若くもない。これから書くのはただの私個人に限った恋愛観である。

 小学生の頃は好きになった子は問答無用で好きであった。動き全てが可愛かったし美しくもあった。中学生の頃は好きになった子には大体恋人がいた。しかし見る目がある自分と勝手に解釈して慰めていた。
 高校生の頃からである。どこかズーレーだしたのは。最初のころは純粋に女性が好きであった。ぷりぷりと私にひっついてくる彼女も可愛かったし、自分に従うということに恍惚感も得た。しかしそれも途端に飽きてきて背徳に走ったりもした。「よかったのかいホイホイついてきて」と平気で言えた時期があったのは今では怖いことである。で。

 今現在、真剣そろそろ20代の私としては世間一般に言われる恋愛がどうもできない体質になってしまったらしい。(こないだ言われた)
 ま、これは書くより実際まわりでイチャついてるスイーツとまではいかないけどリア充の方々を思い描いていただきたい。あれを一時的に普通の恋愛とした場合、私自身がズーレーだと思う部分は約1点。

・束縛しない(されない)

 しないのだ。絶対しないしされないしさせない。どうして男性と会うことは許されて他の女性とはプライベートで会っちゃいかんのだ。機会の喪失、経験の不足、いいことがあるのか、マジで。当然、彼女のほうだって男と遊ぶも寝るも全ては自由である。私にとってプラスになる女性は、私に依存して時間を無駄にする必要性なんて皆無なのである。なぜそれが伝わらない。なぜ私に尽くそうとするか。なぜ、手を繋いだらそこで足を止めて安心してしまうのか。もう私はそこにいないのに。

 大雑把に言えばこれが私が「恋愛体質じゃないね」といわれるゆえんであるのだが、普通の感覚をお持ちの方はどう思われるだろう。これが俺なんだけどなあ。
 数行上にも書いたけれど、安定安心というものが苦手なのである。だってまだ10代だぞ。これからの出会いや機会や考えを規制し束縛するってどういうことなんだ。そもそもお前らが一番好きなのは結局は自分だろう。聖人君子と言い張る前に自分の成長を感じるほうが大事なはずじゃないのか。

 ああ、またしても言い分が一巡してしまった感があるが、私はそれだけ言いたかったのである。これを見た人が(いると仮定して)私のことを破綻者だの不純だのどう言おうが構わないが、これを直すべきなのかそのまま突っ切るべきなのか自分が一番わかっていないから問題なのだ。

 女性関係についてもっと端的に言えば、「貴方の全てが好きです」なんていうサイコちゃんはご勘弁なのである。意外と多いんだが。女性はマゾが多いだのそういう問題ではなく、私は自分が相手されないような人間が好きなのだ。来るもの拒み、去るもの追い続ける。そして追い続けた結果、立場が逆転してしまうとそれは私が好きになれない対象に変化してしまうのだ。酷い言い様だが、攻略したエロゲは二度とやらないのに一番近い感じかもしれない。どないすりゃいーんだ。

 「僕は君が僕を嫌いなところが好きで、僕は君が僕を好きなところが嫌いなのだ」と本人に言い放ってしまう現段階の自分の思想が最も難儀であるように思われる。

2008/05/11 00:00 | 休日駄文。


馬鹿は馬鹿を休み休み言わない

満員電車での出来事。

私は目の前にいる女性に触れた気がした。
いや事実触れていた。
ただ誤解しないでほしいのは故意に触ったというわけではない。
電車の振動で手が触れた、というだけの話である。
しかし痴漢が騒がれる今日この頃において「この人痴漢です!」と言われるのではないかと一人ひやひやしていた。
結局何事もなく事は済み、目的地の駅のホームに降りたその時であった。

「こ、この人痴漢です!」

一瞬ドキッとして声がしたほうを振り返ったが、幸い私のことではなかった。
それよりも自分の顔を体系をよく見ろ。
誰かが貴方を痴漢するとは私には到底思えない、まさにリアルシュレックではないか。
仮に男が彼女を痴漢していたとしても、何故男は彼女を選んだのか私には到底理解できない。
どうせ痴漢するのなら、私なら人間の女性にするだ


345字/痴漢は犯罪☆

2008/05/04 23:59 | 休日駄文。


女子高生と私

 今から、大誤解を承知で大きな声で叫ぼうと思う。せーの、『女子高生の思考パターンは恋空一冊分ぐらいの内容である!』

 「ちょっと、私は現役女子高生だけどそんなに軽い女じゃありませんことよ!」なんて方がいたら落ち着いてほしい。貴方なら私が言わんとする女子高生像が何かは容易に想像がつくだろう。女子高生とは女子高生のことである。ちなみに上記を思った方は女子高生偏差値40.0ぐらいだと思っておいたほうがいい。今日取り上げるのは偏差値50.0のバリバリ女子高生の話である。
 カナタくん今さらわかりきった内容を始めないでよ、と罵声も飛んできそうであるが今日はこれを書きまとめてみたい。

 女子高生ほど感情的な生き物はいない。若さという枷が外れ、同時に若さという武器が生まれ、自由気ままに街中を闊歩するあの生物群は他の何をも圧倒する力を持ち合わせている。これからは敬意をもってあの群集を"メス豚"と呼ぶことにする。
 一言で"メス豚"(褒め言葉だ、念のため)と言っても彼女らの生い立ち全てが似ている環境であるとは決して言いがたい。ではどうして同じ思想パターンが出来上がり、誰もが想像しうる精神活動を淡々を行い続けるのか。おれも書いててよくわからなくなってきたが、ようよう考えると分類ができる気がしてきた。

1.真性タイプ
 ある時期を越えるとワープ進化並の突然さで登場するのがこちら。サイゼリアで携帯見てるだけの女子グループ6人のうち4人がこれ。どこからか突如飛来した女子高生の基本たるものをいかにマスターするかに命を惜しまない、儚くも美しい夢見るタイプ。ダチのためならすぐに駆け付け悩みを聞いて、旦那のためなら楽しみだったカラオケオールも即帰宅!お前、ただ女子高生の悪口言いたいだけだろって?いいえ違います、勘弁してください本当に。

2.仮性タイプ
 いわゆる、本当は普通の生活だって大切だよタイプ。サイゼ率は2/6。トンネル抜ければまわりの友達はギャルでしたみたいな具合で、自らも本心ではないにしろ"ソレ"を装うことで仲間意識をつなぎ止められる悲しき存在。メス豚とは群れるのである。群れていないものはただの豚なのである。そういった意識が10代一般に蔓延しているせいか、かわいそうな仮性は結構いる。集団とは安定と束縛を同時に伴う悪しき熱源なのである。

 そろそろ何が言いたくなってきたのかわからないので、いつか続きます。思考パターン書いてないな…。

2008/04/27 00:00 | 休日駄文。


文学少女と私

 文学少女とは何か。即ち文学を愛する少女である。ただし私の考える文学少女とは”人間関係よりも文学を優先した少女”という意味合いが強い。して、その少女たちは一体どういったものなのか。


 文学少女Ⅰ型-内向的。意見をあまり言わず口ごもる、最もポピュラー(考えやすい)なタイプ。思春期あたりから男性を意識するものの、話しかける勇気がなくその想いは全て文学へと没頭することに。気付けば自然とおとなしい女子(腐女子の可能性も高い)に囲まれ、大半は男性経験のないまま10代を終える。
 特徴はそのまま”男性経験の少なさ”に表れる。相当の時間的ブランクが手伝ってか、自身に対して積極的に話しかけてくる男性を好きになりがち。「この人は私を見てくれるんだ」→「好き」になりがちなタイプ。童貞の皆さん、おすすめです。しかし、男性を知ると突然”私だけを見て”タイプになる可能性も高い気がします。

 文学少女Ⅱ型-高飛車。傲慢で自信家の「あーやれやれ」って感じのタイプ。本で得た知識は全て私のもの、という信条を続けた結果がこうなるのかも。基本的に男性を見下しがちで、「こんな奴ら好きになんてなれないわ、おほほ」といった感じ。交友関係はあまり良いとは言えません、人間関係よりも文学が大事だから。
 特徴は振る舞いが全てと言っていいでしょう。殆どの情報源は紙媒体からであるのにも関わらず、それが真理だと言わんばかりに持論に結びつける危険な子。いわゆる本の虫の権化というやつか。童貞の皆さん、気をつけてください。口癖は「その気になれば男なんて作れる」作れてません。

 文学少女Ⅲ型-電波でまくり。そろそろ二次と三次の境界線がメルトダウンなデ・ジ・キャラットちゃん。ていうか読んでるのが本なのかどうかもわからない。メルトダウンって言いたかっただけでしたすみません。


 以上が僕の考える文学少女です。ちなみに東城100%みたいな顔が可愛い文学少女は殆どいません。何故なら可愛ければリア充だから。長門みたいな子も当然いません。何故なら可愛ければリア充だから。滝川マギステルみたいな人種もありえません。何故な…

 近所に大きな図書館が出来るので、毎日通ってみようと思います。手と手が触れて「あ」のような恋が始まれば報告いたします。

2008/04/20 00:00 | 休日駄文。


白雪姫と私

 今現在、私が企画しているブログでは良くない『白雪状態』が起きている。つまりは”1人の女性に翻弄される複数の男性”って構図である。もちろんこの状態は私の造語なのだが、ここは一つ「言葉」でなく「心」で理解してほしい。かぐや姫ではなく『白雪姫』なのである。

 童話「白雪姫」で思い描けるシーンといえば、毒林檎を喰ったおバカ様を7人の中年男性が取り囲んでおいおいと泣いているシーンである。あのシーンがあるが故に「小人は手下」と錯覚しやすいのだが、実は小人たちにとって白雪姫とは「ホームヘルパー」なのである。逆なのだ。家事を全てする代わりにかくまってやる、ただそれだけの契約で結ばれた関係。しかし、何故泣くのか。
 
 一つは白雪姫が世界一の美貌を持った女性であったということが考えられる。そりゃ、ハイホーハイホー言うしがないおっさんどもだって可愛い女の子は好きだし触りたいだろう。だがこの理由はもっと削っても十分に意味が通ると言っていい。つまり、白雪姫とは女性だからである。ええ、女性だからである(二回目)。さしたる影響力を持ち合わせていなかろうが、女性というのはその存在のみでまかり通るケースは多い。(男性の多い環境では特に)
 二つ、白雪姫は(おそらく)勤勉で誠実だったので、皆から愛され信頼された、ということも大いに考えられる。姫とはいえど傲慢さはなく、小人とは友達のような関係だったかもしれない。…実は中年男性の夜のお世話もしてました?それは知らん。(こう書くと凄くえろい童話に思える)

 さて、長々と白雪姫の話になってしまったが、二つ目の理由が私の想う理想の『白雪状態』である。男性だって翻弄されるのであらば、そいつは悪意を伴うものではなく善意によって翻弄されたいものだ。

 とどのつまり何が言いたいのかというと、冒頭に記したとおり、我々の白雪姫はどうも悪意をもたれがちなのである。彼女がとても美しく、必要な人間であることは誰もが理解している。ただ、妙に自信家なのだ。我々小人をやはり小人程度の存在としか見ていないと思えてしまう。それでは我々も姫を立たせる意志が欠けていくではないか。

 何もここで言いたいことは、”雇用者が全てだ、それに従いなさい”なんてものでは決してない。ただ、”聞く耳を持たない生活仲間”を小人たちはいつまでも容認できるだろうか。やはり仲間である以上、仲間のことは考えなくては。貴方のまわりにはお人よしの小人でありふれているのだから。(俺を除く)
 
 これを書いていて私は、童話の白雪姫と小人の関係は実際はすこぶる対等の位置にあったのではないか、と思うようになった。
 そして我々の姫様には、誰からも愛され困ったときには助けてもらえる、本当の『白雪姫』のような存在になることを切に望んでいる。


※この話はフィクションですか

2008/04/13 00:00 | 休日駄文。


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